
新しい朝ドラ「ばけばけ」が面白い。ご当地の静岡・焼津も八雲のお気に入りの地であったのも嬉しいことの一つだ。

焼津駅前の小泉八雲碑
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ところで、恩師のN先生がアイルランドに絡んで小泉八雲に触れていたことを思い出した。ラフカディオ・ハーンが日本の八百万の精霊と出会い、小泉八雲となった必然が分かる。

「私のアイルランドものがたり」(永江史朗著/令和2年4月)
「アイルランドには資源はないが妖精だけはいっぱいいる。これほどの妖精大国は、EU諸国の中にはないのではないか」と司馬遼太郎は著書の中で言っている。
私もゴールウェーからコングへ下る道すがら、妖精たちが頭の中に入り込んだように、そのことでいっぱいになった。すでに妖精が専用車のそこそこに乗ってしまっているような気さえした。
妖精というとアイルランド人小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)もお化け、幽霊、妖怪という非キリスト教的な存在が、地上の現実よりも好きであった。同じアイルランド人でもイエーツの場合は、その〝好き〟をアイルランドの民族精神に役立たせようとしたが、ハーンはその〝好き〟を八百万の妖精が棲む日本に帰化し、それを全日常に取り込むほどの徹底ぶりだった。
世界の方々をめぐり、ハーンが日本に来るのは1890年(明治23年)の4月である。かつてニューオリンズで知遇を得ていた文部省高官のつてで出雲・松江中学の英語教師の職を得る。彼の最初の日本体験が神々の国である出雲だったということも極めて意義深い。山河のあらゆるものに神が宿るケルト的な汎神論の世界と八百万の神々が集う世界とを、ハーンは重ね合わせて感じていたのかもしれない。
遡って、ハーンは8歳のころ、父チャールズの姉キャサリン・エルウッドが住むメイヨー州コリブ湖畔のコングへ時々出かけ、従弟エルウッドらとともにアイルランドのフォークロア(民間伝承、民話)に接する。また、コングは、ケルト人渡来以前からのストーンサークル、ドルメン、妖精の塚など遺跡の宝庫であっただけに、従弟たちとの遊びの中で妖精になじむ機会も多かったに違いない。
一方で、幼少のころのハーンは極度に臆病で、夢の中や、ときには昼間でさえもオバケのようなものを見た。また、幽霊やオバケは夢の中だけではなく、生のままで出没した、とまで言っている。このこと一つを取ってみても、ハーン少年は神経が透けて見えるほどに物事に過敏であったことが分かるし、想像力の量と質が並みではなかったことが分かる。
妻小泉セツは「思い出の記」の中で、以下のように語っている。
「怪談は大層好きでありまして『怪談の書物は私の宝です』と言っていました。私は古本屋をそれからそれへと大分探しました。淋しそうな夜、ランプの芯を下げて怪談をいたしました。へルンは私にものを聞くにも、その時には殊に声を低くして息を殺して恐ろしそうにして、私の話を聞いているのです。(中略)話が面白いとなると、いつも非常にまじめにあらたまるのでございます。顔の色が変わりまして目が鋭く恐ろしくなります」。
(『私のアイルランドものがたり』より)
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ハンバードハンバードの歌う主題歌「笑ったり転んだり」がまた良い。特に2番は時代性を感じ、カントリー調のスローテンポが胸に響く。
日に日に世界が悪くなる
気のせいかそうじゃない
そんなじゃダメだと焦ったり
生活しなきゃと坐ったり
夕日がとても綺麗だね
野垂れ死ぬかもしれないね
何があるのかどこに行くのか
わからぬまま家を出て
帰る場所などとうに忘れた
君とふたり歩くだけ
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