山の記憶

山歩きで感じたこと、ダウン症の息子との散策を徒然に

月山・六十里街道

いくつもの峠を越えて

 「六十里越《ろくじゅうりごえ》街道」は1200年前から開かれたと伝えられ、庄内の鶴岡から松根、十王《じゅうおう》峠、大網、塞ノ神《さいのかみ》峠、田麦俣《たむぎまた》を経て湯殿山主尾根上の大岫《おおぐき》峠を越え、志津、本道寺、寒河江《さがえ》を通り内陸の山形に至る。月山《がっさん》西側の山腹を越える険しい山岳道であり、庄内と内陸を結ぶ唯一の街道だった。山岳信仰の盛んだった室町・江戸時代には、出羽三山のひとつ湯殿山を目指す「お山詣り」と共に東北・関東の各地から訪れる行者(参詣者)で賑わい、また、戦国時代には最上と庄内が領国支配の争いを繰り広げ、街道は軍兵と軍旗で埋め尽くされたという。一方で庶民の生活にも欠かせない道として、庄内からは塩をはじめ魚介類やローソク、内陸からは紅花や真綿、豆や葉タバコなどが背負って運ばれた。明治30年代に入り新道(現国道112号)が開通すると旧街道は表舞台から退いたが、苔むした沿道には今も湯殿山信仰の名残を留める数多くの史跡が眠っている。近年、旧朝日村(現鶴岡市)が中心となって、この出羽の古道の山越え区間(松根〜本道寺)が整備され、街道を歩くイベントも行われるようになってきた。この区間には、湯殿山ご神体(湯殿山神社本宮)、大日坊《だいにちぼう》、注連寺《ちゅうれんじ》といった湯殿山信仰の根幹を伝える寺社や、街道の宿場であった多層民家の田麦俣や志津などがある。

 妻実家のある庄内の山ということもあって、月山には何度か訪れた。SHC準備会発足の夏、まだ幼かった息子たちと共に最初に登った山が月山であったし、2009年には会の夏山合宿として「鳥海山・月山」を行った。また、仲間と共に辿った肘折から念仏ヶ原を越えての道程は、私の山歩きの中でもとりわけ印象深いルートの一つだった。そうした月山の魅力は、即ち東北・山形自体への愛着でもあったし、山頂から麓に至るまで変化に富んだ地形や多様な植生を見て取れることや、何よりも古代から近世に及ぶ山岳信仰の痕跡が現代も未だ色濃く遺されていることなどによる。今回の山旅の主目的は前述のとおりの六十里越にあったが、月山未踏のメンバーを考慮して山頂も加えた。結果、なかなか綺麗な行程のラインとなったように思え満足を覚えた。かつての出羽三山詣の追体験ができれば一層充実したものになったのだろうが(明治以降初となる羽黒山五重塔内部の特別公開中だったのでなおさら)、三日間という限られた日程ではさすがにこれを加えることはできず諦めた。

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